『経歴詐称と肩書社会』2004年2月6日

古賀潤一郎衆議院議員の学歴詐称問題が世間を騒がせている。
先の衆議院選挙では、自民党の大物、山崎拓前副総裁を破ったヒーローだった。
小生は、昨年の4月末(9ヶ月前)まで、福岡市南区(=「福岡2区」)に居住していたので、山崎氏に勝つのが如何に大変か理解しているつもりである。それが、わずか2ヶ月余りで「汚れた英雄」に転落してしまった。

古賀氏は、民主党に離党届(会社であれば「依願退職願い」)を出していたが、民主党常任幹事会では、大激論の末、除籍処分(会社であれば「クビ」)という結果になった。厳しい処分のようだが、仕方ない措置だと思う。また、民主党がこれから政治浄化を本気で進めるならば、故意性についてしっかり事情を聴取した上で、故意である疑惑が晴れなければ、辞職勧告まで踏み込むべきであろう。
 議員の身分は重たい、議員は選挙で有権者に直接選ばれたのだから、例え政党と言えども辞職はさせられないという意見も聞く。しかし、「民主党の古賀」であったからこそ、政権選択選挙のなか、あの山崎氏を打倒できたのも事実。そうであれば、民主党には古賀氏を公認した責任がある。辞職させられないにしても、辞職勧告はするべきであろう。公認した政党の有権者に対する責任である。このことで、政権交代が遠のくことの方が、国民全体にとって不利益である。
また、意図的に詐称したわけではないのであれば、古賀氏はそのことを証明し、いったん潔く辞職すべきである。そして、民意を問う。詐称していた(誤記していた)学歴を訂正し、正々堂々と選挙をすればよい。犯意がないのであれば、民主党が再度公認したってよいと思う。とにかく、まずは、しっかりと説明責任を果たして欲しい。古賀氏の志は尊いままにしてほしい。

今回は学歴詐称疑惑であるが、選挙における経歴詐称は枚挙にいとまがないという。多くの議員や候補者が、してもいない仕事の肩書きを掲載しているとまことしやかにささやかれる。
10年以上前の話だが、通産省で起こった内藤産業政策局長罷免事件を思い出す。確か、衆議院選挙に自民党から立候補する若手キャリアを、選挙直前に優遇昇格させた人事を行ったとして、新生党の熊谷通産相が内藤局長を罷免し、その後通産省が内紛した事件である。役所の官僚が立候補する場合の優遇人事は常態化していたらしいが、これなど、ある意味、国家を挙げた経歴詐称である。ただ権力が認めているので非合法とされなかったのだろう。
次に、経歴で問題になるのは「秘書」である。社民党の辻元清美氏や、自民党(当時)の田中真紀子氏などの秘書給与流用疑惑もあったが、「秘書」というのは、自由度が高い職業であるためか疑惑の温床だと言われる。実際には秘書としてほとんど働いていない親族秘書(妻・息子など)の問題など、国家への詐欺(給料の二重取り)であると報道されたのは記憶に新しい。選挙の経歴詐称で言えば、候補者が「代議士秘書」という選挙用の肩書きのために、専ら候補者としての活動を行っているにもかかわらず(秘書としての実働がないにもかかわらず)、「代議士秘書」を名乗るとすれば、やはり経歴詐称にはなるであろう。さらに実働なく秘書給与をもらっているのであれば、もちろん横領である。
また、最近では、松下政経塾などを詐称する場合も出てきている。実際には、松下政経塾の講習に参加しただけであるのに、松下政経塾出身と名乗る。最近、同塾は人気があるので、これから頻発するかもしれない。

何故こうした事件が頻発するのだろうか。その背景には、日本という国に深く根ざした「肩書き神話」がある。大学名、留学経験、代議士秘書、松下政経塾などの「肩書き」がどの程度、選挙で効果があるのかはわからないが、効果があることは確実である。だからこそ、経歴放送もあれば、重要な経歴をポスターに大書する人もいる。名刺に経歴を入れている候補者も多い。
小生も、経歴をアピールすること自体が悪いこととは思わない。2週間前後の短い選挙期間で、選択をしなければならない有権者にとって、経歴は重要な情報であることも間違いない。有権者の候補者選択に際し、経歴が、その候補者の能力や資質を判断する重要な材料となるからである。
しかし、重視し過ぎる傾向はやはり問題である。民間企業でも、どんな仕事ができるのかということの前に、肩書きが重要であることが多い。若手社員がいくら斬新なアイディアを上司に説明しても、なかなか意見が通らないか、もしくは時間がかかるという経験をした方は多いと思う。「何を言っているか」のコンテンツが大切なのに、「誰が言っているか」ということが大切になってしまっている。判断力のない部長クラスの人は、平社員より課長の意見を尊重する。日本の企業には、経験や経歴はないが、実力のある若手社員がたくさんいる。若い人たちの優れた意見を吸い上げることで、企業再生もできよう。それができずつぶれてゆく名門企業の数々。肩書き社会という壁の前で、やる気を失い職場を去ってゆく若手社員。小生の経験や、友人から聞いた話を総合すれば、大企業であればあるほど、高学歴であればあるほど、そして高年齢であればあるほど「肩書き人間」は多い傾向にある。
今のような時代の変革期、「肩書き」が本当の実力を反映しないことがままあるという事実を考えなければならない。江戸時代から明治時代の変革期に、時代を変革した主役は、「肩書き」のある大名ではなかったことは忘れてはならない。もはや過去の常識は通用しないし、過去の常識や成功体験が、寧ろ変革の邪魔をすることも多くなっている。新しい時代の国際競争に勝ち抜くためには、企業経営者は、「肩書き」のない若い社員の提言を積極的に受け入れる度量が問われている。それと同時に、有権者は、「肩書き」に左右されず、自ら候補者情報を収集し投票すべきである。以前コラムでパフォーマンス政治批判を書いたが、経歴やパフォーマンスなどの「見せかけの情報」や「与えられた情報」を重視し過ぎる社会を変えてゆかなければならない。それが変革達成、日本復活につながるものと信じている。

 
 
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