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事務所にいた小生の携帯に電話が入った。
「衝撃」だった。
東京の情報担当をしていただいている
銀行時代の後輩のK宮くんからだった。
「松岡大臣が自殺されたようです。」
慌ててテレビをつける。
まもなくテロップが入った。
この日28日は一日中、松岡大臣自殺のニュースとなった。
きのうは、あまりの衝撃で記事をアップできなかった。
「死者に鞭打つことはできない」という理由ではもちろんなかった。
なんとなく気が重く乗れないのだ。
小生が改革の前提条件でありすべての改革の最優先事項として
目指している「政治腐敗からの脱却」=「政治とカネ」の最終決着は
こんなに難しいものなのか。
またしても起こってしまった当事者の痛ましい死に、
ただただ混乱するしかなかった。
きょう29日になって、さらに自殺者が出た。
森林開発公団(現緑資源機構)の元理事の自殺だ。
・・・
ここ群馬県3区では、自民党の中島洋次郎代議士が自殺している。
親しくさせていただいている方のなかには、
同代議士の支援者の方も多い。
話を聞くといつも「目に見えない深い闇」を感じてしまう。
さらに、群馬県の民主党でも昨年、県連の不祥事が発覚するなかで、
事務局長が自殺するという痛ましい出来事が起こった。
お前らがほじくり返し追求したのが悪いとも言われた。
このときも、「目に見えない何か」を感じた。
なんで当事者の人たちは死を選ぶのか。
それが覆いかぶさる。
学生のときの痛ましい出来事も蘇る。
就職活動で同じ会社を目指していた顔見知りの同級生がいた。
学問もできるし、情熱もあるナイスガイだった。
小生は内定し、その友人は内定が出なかった。
何日かして小生が乗っていた中央線が立川−国立間で突然止まった。
・・・・・。
14年後、その友人がめざし小生が入社した会社と
その友人が内定をもらっていた会社は一つの会社になった。
・・・
人はなぜ自殺するのか。
「自殺するくらいなら、全てを語ってしまえばよいのに。
すべてを話し、懺悔すればよいではないか。
なんで、それができないのだろうか。」
というのは簡単だろう。
別に哲学的な命題に挑戦しようというわけではないが、
それぞれの事例で小生が感じているのは「人生に対する喪失感」だ。
長年信じてきた、積み上げてきた考えが否定され、
その関係で積み上げてきた人間関係が壊れときの孤独感が、
人生の喪失を感じさせるのではないだろうか。
積み上げてきたものを信じ切っていればいるほど喪失感は大きいだろう。
また、途中で気づいても積み上げてきた人間関係など
からどうしても舵を切れない状況に追い込まれ、
にもかかわらず、最終的には事敗れ、自身が人身御供にされたと感じたときも、
喪失感は相当大きいだろう。
今回の松岡大臣の自殺では遺書があったという。
しかし、喪失して自死を選んだ大臣の本音のメッセージではないと思う。
本当のメッセージは何なのか。
死して何を言わんとしたのか。
「政治とカネ」全体を覆う「目に見えない深い闇」は
決して松岡大臣一人の問題ではないはずだ。
政治の構造が変わらなければ同じような状況で、
同じように不祥事に手を染め、同じように自殺する政治家が
でるかもしれない。現に繰り返される構図でもある。
松岡大臣は極悪人だったのではなく、
むしろ政治の構造のなかの犠牲者だったのだと考える。
緑資源談合や事務所費の問題を個人の問題に限定・矮小化させずに、
構造の問題と捉え、そうした構造を生む選挙制度にもメスを入れてゆく
覚悟と勇気を現職の政治家にはもってもらいたい。
「政治とカネの問題」は個人の問題ではなく政治構造の問題であること、
を認識し、根絶する気概で構造全体を改革することが、
構造のなかで翻弄され、その罪を、死という形で最も重い責任の果たし方をした
犠牲者に報いることであると思う。
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